代表:阿部泰之より
皆さん、ケア・カフェにようこそ!
ケア・カフェはケアに関わる様々な人が語り合う場として作られました。ここでは、ケア・カフェの生い立ちをご紹介しようと思います。ケア・カフェは2012年に誕生しました。私がなぜケア・カフェをすることを思い立ったか、それにはいくつかの背景と理由があります。
私は緩和ケアを専門にする医師です。痛みを抱たり、病気に思い悩む人を救うのが仕事です。病変という敵を倒すという考えよりも、病を抱えた人間全体を見ようと努めます。そして多くは看護師や薬剤師、ソーシャルワーカーなどと一緒のチームとしてケアをしていきます。このように、もともと多職種で人に対するケアを考えているという背景を持っています。
しかし、緩和ケアといってもあくまで「医療」の中の出来事であって、まだまだ狭く小さな視点です。人の人生に関わるのはなにも医療だけではありません。介護も福祉も法律も教育もコンビニやレストランだってそうだし、クリーニング店だってある人の人生に関わってケアをしている人です。こうした「ケア」に関わる多くの人が集まって話し合えたらどんなに楽しく有意義だろう、そう考えたのがケア・カフェの始まりです。
単に「集まりましょう」では実効性も継続性もありません。ケア・カフェの背景にはいくつかの“理論”があります。難しい言葉は抜きにしてどんな考えがあるのかをお伝えすることにします。
ケア・カフェはある種の哲学の上に成り立っています。現代は大変生きづらい世の中だと思います。現代に暮らす人は科学的な“絶対”を目指しながら、どこかで絶対なんてないから努力したって無駄といった考えも持ち合わせています。この2つは思想的には実はまったく正反対の考えです。正反対の考えの間をあっちに揺れ、こっちに揺れながら迷い続けているのが現代人といってもいいかもしれません。ケア・カフェに流れている哲学はそのどちらでもありません。その中間といってもいいでしょう。確かにどうも世の中は“いろいろ”のようです。いろいろな人がいるし、いろいろな考え方があります。そこで“いろいろ”からスタートしながらも、その“いろいろ”の中から、その状況で一番良さそうなものを選んでいくことはできるのではないか、特に人と人がそれぞれの“いろいろ”を持ち寄っていい未来を創っていこうではないか、そんな考えです。人×人の力を信じると言い換えてもいいと思います。ケア・カフェはまさに、生身の人と人が交流し繋がり、ケアの未来を創っていく、そんなイメージの場所なのです。
ケア・カフェは学習の場でもあります。学習というと堅苦しいですが、やはりそこに来て知識やヒラメキを得てほしいと思っています。学習といってまず思い浮かぶのは学校の先生と生徒の関係でしょう。学校に行って知識を持っている先生から生徒が教わる、そんなイメージだと思います。概ね高校までの学習はそれでいいのです。生徒は知識や技術を持っていないので、目上の先生が一方的に足りないものを与える、そんな関係でいいのです。しかし、これが大人になると少し変わってきます。それぞれが一通りの知識と技術、そしてプライドを持った大人同士、それが学び合わなければいけないのですから、多少の工夫が必要となってくるのです。まず一方的な講義はあまり大人には向いていません。既にそれぞれが一家言持っているわけです。自分と違う意見を教えられたとき、なかなか素直に「はい、そうですか」とはならないのが大人の特徴です。違う意見を擦り合わせる話し合いや、実感できる体験学習のようなものが大人の学習には向いています。また、一方向的な講義は特に大人はほとんど頭に残らない、そんな研究結果もあります。巷に溢れている「○○研究会」「□□講演会」…、なんとなく無駄が多い気がしてきます。しかもこうした研究会に何回出席しても、なかなか知り合いは増えませんよね。ケア・カフェは話し合い、体験、関係づくりに配慮した「学習」の場でもあるのです。
ケア・カフェでは今まで知らなかった人と話すことができます。知らない人が“知り合い”になるというのはどういうことを意味するでしょうか。一般に同じ職場・職種だけで長年過ごすと、情報やアイデアはマンネリ化し、発展性がなくなります。そういう時にはユルイ人間関係、ちょっとした知り合いや、知り合いの知り合いなど、今まであまり深く関係していない人からの知恵や知識がブレイクスルーを起こす可能性があると言われています。ケア・カフェでは、そんな“知り合い”をたくさん見つけることができます。さて、会ったばかりは確かにただの“知り合い”です。でも、よく話すうちにその人がどんな人で、どんな考えでケアをしているのかということがわかってきます。この時点で“知り合い”は“人脈”に変わります。今まで知り合うことがなかった分野がカフェで繋がり、実際のケアの場面でも繋がる、そんなことが期待できるのがケア・カフェのまたひとつの特徴です。
ケア・カフェに流れている考えでもうひとつ大切なものがあります。それが「贈る」です。人間社会はさまざまなモノを贈り合って成り立っているという考えです。皆さんは大切な人に贈り物をするとき、何を思うでしょうか。「これだけ値段のものを贈ったのだから、相手からもこれだけの値段のものが返ってくるべきだ」とは思いませんよね。もちろん、値段もまったく無関係ではありませんが、贈られるものは「物」だけではなく、「気持ち」も入っているでしょう。また、贈ることで自分が受け取るものもあるはずです。思いを伝えたという満足感であったり、相手からの好意であったり、自分も贈ることでゲットしているものがあるはずです。「贈る」というのは互酬的な行為なのです。ケア・カフェという言葉に含まれている「ケア」も同じだと思っています。既に社会には様々なお金の取れる「ケア」が溢れています。医療も介護も福祉も例外ではありません。でもケアで私たちが得るのはお金だけではありません。先ほどのようなケアした側の満足感、相手からの感謝、ある種の名誉など、ケアした側がもらっているものがたくさんあるのです。ケアした側がケアをされてもいる、そんなふうに言ってもいいかもしれません。そんな「贈る」ケアを体感できるのもケア・カフェという場所です。そのために、あえてカップやお菓子を持ち寄り、準備や片づけも皆でして、出せる人が出せる分だけのお金を出して運営しているのです。
このような考えを実現させる場を作るために私が取った手法が「ワールド・カフェ」という話し合いの方法です。言うまでもなく「カフェ」という言葉はここからきています。ワールド・カフェは、1990年代にアメリカで始まった新しい話し合いの方法です。日々繰り返されるかしこまった会議での話し合いよりも、カフェのようなくだけた雰囲気での自由な会話からアイデアや知識が生まれるという考えです。実際に体験してみるとわかるのですが、どんな人ともフラットにおしゃべりができる雰囲気があります。初対面の人が職業や立場の壁を超えて話し合うにはもってこいの方法です。かつてパリのセーヌ河左岸のカフェは、サルトルやルソー、ピカソ、ランボーといった人達が思想、文化、芸術、政治について語り合う場でした。ケア・カフェもケアに関わる人が語り合い、いずれケアをけん引していく人が生まれる場になってほしいと思っています。
以上、ケア・カフェに流れている考えを書いてきました。このような考えをもとに、ケア・カフェの原型ができ、それに共感してくれる人が集まって運営がなされ、全国に広がり、今に至っています。同じように共感をしてくれたのであれば、ぜひ仲間になってください。そして全国各地でケア・カフェが開かれ、いつの日かケアに関わる人全員が繋がる日が来ますように!
2013年4月